記憶がなくなってしまうということは、それまでの軌跡がなくなってしまうということだ。
少なくとも、自分自身の中からは拾えなくなってしまう。だから、もしも自分がそうなったときのことを考えると怖いし、想像している今以上に、そうなった俺は不安がっていることだろう。
酒場で出会った、いっしょに連れている鈴の音が印象的なティティナが以前の記憶をなくしていると聴いたとき、そんなふうに不安がっていたり、後ろ向きになっている様子がなかったことに、だからまず驚いた。
同じく酒場に、上の宿から下りてきたレイヴにも、それは思わず感心するとこだったみたい。そりゃそうだよねえ、だって、それでも支えてくれる周囲の人達のおかげで今の自分が在る、と胸を張って言えるティティナの言葉の、なんて力強いことか!
それでもやっぱり最初は、不安もあったり泣いたりもしたらしい。けど、あたたかかった周囲の人達と、相棒だという黒猫さん、そしてきっとティティナ自身の中に残っている以前のティティナ、そのすべてが彼女をこうして前向きにさせている。
きっと彼女は大丈夫だな、と思えた。
それから、もしも俺やレイヴが同じ状況になったら、きっと信頼を置く友達として、ティティナの周囲の人のようにお互い支え合えるだろう、ともね、とても幸せなことに。
お気に入りの絵本の話や相棒の話をして、ティティナは先に上の宿に戻って、それからほんの少しレイヴに歌を聴いてもらう。
いつも心地よさそうに聴いてくれる彼女の表情を嬉しく眺めながら、そういえば、ティティナの仕草や言葉に、東のものが時折混じった気がする、と何となく思い出していた。
■冒険者達の酒場にて■
(ティティナ、レイヴ)

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